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オーストリアに恋して。

日本で会社員を経てオーストリア・ウィーンの大学院生に。将来日本を元気にしたいと思い本気で勉強しています。

物乞いにはお金をあげるべき?それともあげない?

こんにちは、BABSIです。

オーストリア・ウィーンというと日本人の多くは口をそろえて「音楽の都」と言いますね。世界の生活の質ランキングでも、今年2016年においてもウィーンは堂々の1位ですし、街並みも美しく劇場や美術館なども充実しており、私自身も実際に生活してみて負の要素はそれほど大きく感じることはあまりありません。

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ただ、私が2014年の夏に初めて旅行でウィーンを訪れたとき、最も驚いたことは、道端に物乞いがいることでした。

ウィーンの中心である1区、Karlsplatz付近や、Stephasplatzの付近に出ると、それはもう、私たちが道を歩いていれば避けることはできないと言っていいくらい、物乞いが道の端に座っている姿は、必ず目に入ってきます。

道以外の場所で言えば、大きな駅のホーム上に正座して座っている様子なんかも、私は毎日のように見ます。”ICH HABE HUNGER”(英語でアイアムハングリー)と書いてあるカードを手にもって、彼らの目の前には、お金を入れるための紙コップなんかがおかれているのが定常です。ウィーンに住み始めた当初は少し驚きましたが、今となってはふつうの光景となってしまいました。

 

また、これは私だけが思っていることかもしれませんが、日本にも「ホームレス」と呼ばれる人たちがいることは認識しているものの、「お金(もしくは食べ物)くれ」といった形で道行く人に懇願する、といったアグレッシブさまでは垣間見れないと思うのです。

以前、テレビ番組「しくじり先生」にてモデルのIVANさんが出演していたとき、ご本人が過去にホームレスだった時期がある、というお話をしていました。そのとき、定期的に炊き出しや教会での食事提供があった、という話をしていたので、日本のホームレスがアグレッシブにならない背景にはこうした理由があるのかもしれないと勝手に想像しました。あくまで憶測です。(ただここヨーロッパでも、住む場所がないとなれば教会が助けてくれる、といった話は聞いたことがあります)

また、「日本人」という国民性も因果しているかもしれません。

 

さて、話はオーストリアの物乞いに戻りますが、

私は先日、オーストリア人の友人に、「今まで物乞いにお金、または食べ物をあげたことがあるか」と聞いてみました。

彼女の答えは「あげたことがある」でした。ただ、以下のように付け加えました。

でも、(物をあげるかどうかの判断が)難しい

 

「なぜ難しいの?」

 

友人「物乞いの中には、本当に困窮している人もいれば、それほど困っていないのに物乞いをしている人もいる。今までに、とある物乞いが、道行く人からもらったお金でその後すぐに雑誌を買っていた」

 

「へえ。そうなんだ。」

 

友人「私の夫が、一度、その時もっていた食べ物を物乞いにあげようとしたことがあるの。だって”ICH HABE HUNGER"って書いてある紙を持っていたから。でも、物乞いは”食べ物はいらない。金をくれ!”って言い返してきたんだって。」

 

「(驚き)!!」

 

…そこで、だいたいの話は終わってしまいましたが、

私個人の意見としては、私自身は絶対に物乞いにはお金をあげません。

根本的な貧困の解決にならないからです。

「労働(どこかで雇用される)」により、その対価としてお金をもらう、という形が形成されない限り、当たり前ですが、彼らはずっと道行くだれかからお金がもらえることを期待し続けます。

ある日は一時的に誰かからお金がもらえて、その時の食事はどうにかなったとしても、それ以外のある日は全くお金がもらえないかもしれません。

物乞いにお金(もしくは物)をあげるかどうかは、個人の判断で自由にしてよいとは思いますが、私個人としては、一時的にお金や物を与えた人は、その後の物乞いの行方や未来についてもしっかり想像し、思いをはせてみたほうが良いかと思います。