オーストリアに恋して。

日本でサラリーマンを経た後オーストリアで大学院生に。オーストリア留学情報・蛇足なことも含め発信するブログ。

中島義道さんの「ウィーン愛憎」が他人事に思えない

こんにちは、BABSIです。

オーストリアにきてちょうど3年になり、はじめて表題の「ウィーン愛憎」、哲学者中島義道さんの書籍を読んだ。

以前、ウィーンにいらっしゃった日本人の研究者の方が、帰国前に辞書などを譲ってくださり、その時にこの本も頂いたのだった。

www.kadokawa.co.jp

 

大人になってから私費留学しているという点でも、ドイツ語で学位をおさめたという点でも私は著者に親近感をもち、そして何よりウィーン留学を通して綴られる現地人に対する分析等がまったくもって共感できてしまった。

 しかも彼がウィーンに住んだのは80年代の前半。それから30年以上たった2019年にウィーンに住む私が、時代ギャップなどをそれといって強く感じることなく読めてしまうことにも驚いた。それくらい、この街ウィーンは何も変わっていないのだろうと思う。今と違うなと思ったのは、著者がヨーロッパ人に苦情を訴えたりするさいに出していた「手紙」。これが今の時代ではEメールやWhat'sAppにあたるのであろうか。それを思えば私が今生きているこの時代は、多少便利になったのかもしれない。一方、それだけコンピュータやスマートフォン等が普及した分、例えば重要な情報発信&受信は以前と比べその速度や快適度合いを高めていると思うのだが、それでもわたしたちが誰かのお尻を叩かなければ事が進まないこともよくある。だから、結局何も変わってないのだと思った。

他にも著書の中で、ウィーン大学の効率の悪さ、住居の問題、そして平気で授業の発表などをすっぽかす人について述べられていた。今でさえ、ウィーン大学は質問ひとつのメールを打ったところで、人によっては返事の内容が曖昧なことがある。私の場合は、授業の申し込みも成績の確認も学費の支払いもすべてパソコン一つあれば手続きが終わってしまうのが、中島さんの時代は一人で大学内を駆け回らなければいけなかったのだと思うと、ぞっとする。

だがウィーンに住み学業をやっている身分からすれば、彼が80年代初頭に体験したこの大変さは時代のせいではないんだ、と強く思う。彼が指摘するヨーロッパ人の精神もその通りだと思った。

また、私は喧嘩っ早いためその点でも共感できてしまった。彼も現地で、オーストリア人を含む欧米人と顔を突き合わせて喧嘩していた。著書のどこかで「ウィーン喧嘩留学記」と称されていたが、私のウィーン生活もまさに喧嘩だらけ。(ただ私は日本にいる時もしばしば戦っていた。)

 

ここからは私自身の話になるが、最近の出来事でいえば、ビザの更新手続きをしてからその受取について。4月に入りやっとMA35からビザ受取可の通知が届いた。そこには「同封している支払い伝票で、受取の5日前までに手数料の支払いを済ませてください」とある。しかしなぜか伝票なるものは同封されていないため、MA35へメールを送り、振込先の情報を教えてくださいと頼むが数日たっても音沙汰無し。仕方がないので直接MA35へ赴き説明すると「あなたは新しいビザの受け取りの日に直接手数料を払えばいいから、伝票は必要ありません。」と。

日本での感覚だととりあえず役所の窓口にいっただけでお礼は言うものの、こういう面では私は無言で立ち去るか、「あなたたちが忘れているんですけど?」と一言付け加えるくらいになっている。日本だったらなんていうクレイマーだろう。

また、最近は夏に行う引っ越しに向け、家にあるいらないものを処分しているのだが、現地のサイトに情報を掲載して、興味がある方に連絡をいただく→物品引き渡しという手順で片づけを進めています。私のパートナーがトレーニング用の鉄アレイを掲載し、一人の男性から買いたいとの連絡があったので、引き渡しに都合の良い時間を聞くと、とある週末の16時以降がよいと返事が来たので、「では私たちは18時に帰宅するので、18時以降に来てください」と書いて住所の詳細も送った。

すると17時前に突然、Ich bin schon da. (私はもうここにいます)とスマホを通じてメッセージが。どうやら自宅前に到着して既に待っているらしい。その時私も彼もレストランにいて食事をとっている最中だったので、「18時に来てくださいと私は書きましたよね?」と彼にメッセージを送ると、「でも、私はウィーンには住んでいないので、次はいつウィーンに来れるかわからない。。。」とだけ返事がきました。

それならそれで、なんでもっと時間のことやらをきちんとコミュニケーション取れないのだろうと苛立ちましたが、レストランが家から近かったため急いで食事をかき込んで(私はすべて食べれずパッキングしてもらい持ち帰り)、予定より相当早く帰宅すると確かに男性が立っていた。私はこのコミュニケーションの取り方の拙さ(?)から、相手は10代くらいの青年かと思ってたのですが、おそらく40代以降、大人でした。いわゆる、おじさん、です。

ウィーンでの住居に関してなんて、中島さんの綴られる留学記で一番共感できる部分かもしれません。私も今の家を含めて何も問題がなかったという家には住んだことがないですし、今WGをしているこの家だって、なんと、未確定ではありますが、おそらく多く費用を取られているだろうとのことで、お金が返ってくるかもしれないというのです(ウィーン市の某機関による)。またその返金されるかもしれないという額が、予想するところかなり多い。この点では、オーストリアの法律は賃借人をしっかり守っていると思った。それにわたしのような外人でも、無料で相談、仲裁できる機関があることも。また、一番最初の家で金銭トラブルがあったとき、当時ドイツ語も未熟だったことから周りのオーストリア人が何とかしようと私のために情報を集めてくれた。

悲しいが、まるで詐欺じゃないかってような具合で人に家を貸している大家の話は今もよく聞く。こういう大家とトラブルがあった場合に、相談できる機関があったとしても、案内掲示も弁護士もドイツ語でしか対応できないとなると、問題解決に至るには、第三国からの人間にはハードルが高い。

 

文句をいいながら、拙いながらもドイツ語が分かるようになってドイツ語で課題などを仕上げ、毎度泣きそうになるのをこらえながら単位を取ってきたのだけど、それでも勉強するチャンスを私に与え、ヨーロッパ人との議論に混じることを許してくれたのはこの国。私の語法間違いだらけのレポートを丁寧になおし、論理的でとても良い文章と言ってくださった先生に会ったのも、ここウィーン大学。その言葉は、大学院生活の大きなモチベーションになり、今もそれを励みに論文を書いている。英語もドイツ語もまともにできなかった劣等感だらけの自分に与えてくれたこの言葉は私の宝物。
ウィーン生活を通して私のことを騙したり陥れようとしたりした人のことは今でも憎たらしいが、私を愛してくれる人も現れた。人生でとてもうれしい瞬間のいくつかを私はこの国で迎え、そしてそのほかのいくつかもきっとこの国で迎えるかもしれない。それでもまたHass(憎たらしい)の側面に出会ったら、また中島さんのこの本を手に取ると思う。